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July 13, 2022

ハーバーマス『後期資本主義における正統化の問題』

ネット購入。2022年1月10日受け取り。
難解。訳語が日本語になっていないように感じるほど。ただところどころその主張になるほどと思うことはある。

書名:後期資本主義における正統化の問題
著者:ユルゲン・ハーバーマス
訳者:山田正行、金慧(きむ・へい)
出版:岩波文庫(2018年1月16日第1刷)、原著は1973年

《目次》

凡例

まえがき

第一章 社会科学的な危機の概念

第一節 システムと生活世界

第二節 社会システムのいくつかの構成要素

{・・・わたしは、そもそも社会進化の基底にあるメカニズムは《学習しないではいられない》という自動作用にあるだろうと考えている。社会文化的な発展段階においては、学習することではなく、学習しないことこそが説明を要する現象である。ここに見られるのは、そういいたければ、人間の理性的なありかたである。これを下敷きにしてはじめて、人類の歴史の圧倒的なまでの非理性的なありさまがくっきりと浮かび上がって見えるようになる。さまざまな学習水準を区別するための形式的な観点は、われわれが二つの次元で学習するということ(理論的もしくは実践的)、そしてこうした学習過程が討議において認証することができる妥当請求と結びついているという事態から生じる。非反省的な学習は、暗黙のうちに提起された理論的および実践的な妥当請求が素朴に想起され、討議による検討をへないまま、それが受容されるか拒絶されるという行為連関においておこなわれる。反省的な学習は、疑問視された実践的な妥当請求を、あるいは制度化された懐疑によって疑問視された実践的な妥当請求を、われわれが主題として取り上げ、主張に基づいてそれに同意するか拒絶するという討議を通じておこなわれる。社会構成体によって可能となる学習水準は、社会の組織原理が、①理論的問題と実践的問題の分化を、②非反省的(前学問的)学習から反省的学習への移行を、許容しているかどうかにかかっているだろう。ここから四つのありうべき組み合わせが生じる。わたしの見方が正しいとすれば、歴史的に実現されたのはそのなかの三つである。・・・}

第三節 社会の組織原理の例示

//未開の社会構成体/伝統的な社会構成体/自由主義的資本主義的な社会構成体/

第四節 システム危機 ―自由主義的資本主義における危機循環を例とする解説

第二章 後期資本主義における危機の傾向

第一節 後期資本主義の記述的なモデル

//経済システム/行政システム/正統化システム/階級構造/

第二節 後期資本主義的成長から帰結する問題

//生態系のバランス/人間学的バランス/国際的なバランス/

第三節 ありうべき危機の傾向の分類

//経済的な危機の傾向/政治的な危機の傾向/社会文化的な危機の傾向/
{・・・資本主義システムの根本的矛盾は、他の事情が等しければ、以下のいずれかにいたりつく。
・経済システムは必要な程度の消費可能な価値を生産しない、あるいは
・行政システムは必要な程度の合理的な決定をもたらさない、あるいは
・正統化システムは必要な程度の一般化された動機づけを調達しない、あるいは
・社会文化システムは必要な程度の行為を動機づける意味をうみださない。
「必要な程度」という表現は、それぞれのシステムの成果(価値、行政的決定、正統化、意味)の規模、質、時間的次元に関係している。そのさい、同一のシステムの成果における個々の次元の間に、また、様々なシステムの間に代替関係が生じることは排除されていない。部分システムの成果は十分に操作できるようにされ分離され得るのかどうか、またシステムの成果にとって決定的な需要の詳細を十分にとらえることができるのかどうかというのは、別の問題である。・・・}

第四節 経済的な危機の定理について

第五節 合理性の危機の定理について

{後期資本主義国家の機能様式は、〔正統派の主張する〕依然として自然発生的に働いている経済法則に従って無意識的に行動する執行機関というモデルを用いて把握することはできないし、〔国家独占資本主義理論の主張する〕団結した独占資本家のために計画的に行為する代理人というモデルに従えば適切に把握できるというわけでもない。国家が再生産過程の中に引き込まれることによって、価値増殖過程そのものの決定要因が変化したのである。階級間の妥協を基礎として行政システムは一定限度の計画化能力を獲得し、これを形式的デモクラシーを通じた正当化の調達という枠組みの中で、危機回避の反応という目的のために利用することができる。その際、総資本家的な存続維持への利害関心が、一方では個別の資本群の互に矛盾する利害関心と競合し、他方では様々な住民グループがもつ使用価値志向型の普遍化可能な利益と競合する。危機循環は一定の時間を経て分割され、その社会的帰結において緩和され、インフレと公的財政の持続的危機に取って代わられる。こうした代替現象は、経済的な危機の制御に成功したことを表しているのか、それとも経済的な危機が一時的に政治システムへと置き換えられたことを表すにすぎないのかは経験的にしか答えられない問題である。それは、最終的には、間接的に生産に投資された資本が労働生産性の向上に成功し、これがシステム機能に即した生産性の向上分の分配において、大衆の忠誠を確保すると同時に蓄積過程を持続させるのに十分であるのかどうかにかかっている。
国庫は、ますます広範に社会化される生産に伴う共通費用を背負い込むことになる。すなわち国庫は、帝国主義的な市場戦略の費用や非生産的消費財(軍備や宇宙船)の需要の費用を負担し、直接的に生産に関連するインフラの給付(交通網、科学と技術の進歩、職業教育)の費用を負担し、間接的に生産に関連する社会的消費(住宅建設、交通、医療、レジャー、教育、社会保険)の費用を負担し、社会保障、とりわけ失業者に対する費用を負担し、果ては民間の生産によって生じる環境負荷の外部費用を負担する。こうした支出は最終的に税によって賄わなければならない。したがって、国家装置は、利潤や所得を吸い上げることを通じて必要な額の税を調達し、危機をもたらす成長の攪乱を回避し得るように、自由に使える額の税を合理的に使用しなければならない。もう一つは、税の選別的な徴収、その支出の明確な優先順位のモデル、そして行政の給付そのものが、生じてくる正統化の需要を満たすことができるようなものでなければならない。国家が前者の課題を果たさない場合には、正統化の不足が生じる(これについては次節を参照)
合理性の不足が生じるかもしれないのは、無政府的な商品生産と危機をはらんだその成長が自然発生的なものであり、そうした状態を引き起こす相互に矛盾する制御の要請が行政システムの内部で影響を与え始めるからである。・・・}

第六節 正統化の危機の定理について

第七節 動機づけの危機の定理について

{わたしが動機づけ(モチベーション)の危機という表現を用いるのは、社会文化システムが変化して、国家と社会的労働のシステムへの社会文化システムの出力が機能しなくなる場合である。社会文化システムが後期資本主義社会において果たす、動機づけの面で最も重要な貢献は、国民的な私生活主義、また家族的・職業的な私生活主義という症候群にある。国民的な私生活主義とは、行政システムの制御活動と給付活動に対する関心は高いのに、正統化の過程への関与は制度的に用意された機会に相応しいとはいえわずかである、ということである。(高い出力志向対低い入力志向)。つまり、国民的な私生活主義は脱政治化された公共圏の構造に対応しているのである。家族的・職業的な私生活主義は、国民的な私生活主義とは相互補完的な関係にある。それは、一方では大いに発達した消費とレジャーへの関心を伴う家族への志向、他方では地位をめぐる競争に相応しいキャリアへの志向である。したがって、このような私生活主義は、業績競争を通じて制御された専門教育制度と雇用制度に対応している。
この二つの動機付けのモデルのいずれも、政治システムと経済システムが存続する上で重要である。・・・}

第八節 回顧

第三章 正統化問題の論理によせて

第一節 マックス・ヴェーバーの正統化の概念

第二節 実践的問題の真偽決定可能性

第三節 普遍化可能な利益の抑圧のモデル

第四節 個人の終焉?

第五節 複雑性とデモクラシー

第六節 理性に与する党派性

原注
訳注
解説
訳者あとがき

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June 30, 2022

蝶プラ工業 コレクションケース レギュラー 18 561185

2021年7月ネット購入。

書名:日本の古代国家
著者:石母田正
出版:岩波文庫(2017年1月第1刷)、原書は1971年

翻訳語としてのマルクス主義的用語が文章をわかりにくくしている。想定している読者対象はどうみても学者仲間。ということで、とても読みにくい本ですが、おぼろげに趣旨はわかるし、興味深くはある。それでも史的唯物論の前提となる生産関係の発展・進化信仰の限界を感じざるを得ない。

《目次》

はしがき

第一章 国家成立史における国際的契機

第一節 交通の問題 戦争と内乱の周期

第二節 権力集中の諸類型 推古朝

第三節 二つの方式 大化改新

第四節 第二の周期 天平期

第二章 大化改新の史的意義

第一節 改新の課題 史料批判の問題

第二節 人民の地域的編成 王民制から公民制へ

第三節 改新と東国首長層

第四節 改新政権の軍事的性格

第五節 権力構造について

第三章 国家機構と古代官僚制の成立

第一節 過渡期としての天智朝

第二節 「政ノ要ハ軍事ナリ」天武・持統朝

{・・・第三に田祖制の制度的確立も、浄御原令の施行と関連しているとすれば、令制の税制の基本をなす租庸調制および雑徭制が制度として確立した時期は、浄御原令の施行のときとしなければならない。独立した公権力を維持するための統一的税制が、国家の基本的属性の一つであるとすれば、この側面から見る限り、国家の成立は大化改新・天智朝にはじまって、浄御原令によって全面的に完成したと言ってよい。これらの税制は公民の編戸および造籍と不可分の関係にある。・・・}

第三節 東洋的専制国家 天皇制と太政官

第四節 古い型の省と新しい型の省

第四章 古代国家と生産関係

第一節 首長制の生産関係

1 第一次的生産関係としての首長制
2 徭役労働
3 田祖と調の原初形態
4 班田制の成立
5 首長制の生産関係の歴史的特質について

第二節 国造制と国家の成立過程

1 生産力の発展と階級分化
2 国造制および国造法の成立
3 生産関係の総括としての国家


あとがき
付録(大化改新詔関連史料、国造表、関連地図)
解説(大津透)
事項索引

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June 29, 2022

NARUTOナルト 疾風伝. Grandista Shinobi Relations UCHIHA SASUKE うちはサスケ 約27cm

レンタルDVD鑑賞記。

タイトル:La decima vittima(1965年)
Director: Elio Petri(監督:エリオ・ペトリ)
Writers: Robert Sheckley(story "The Seventh Victim"), Tonino Guerra(screenplay), Giorgio Salvioni(screenplay)
Stars:
Marcello Mastroianni ... Marcello Poletti
Ursula Andress ... Caroline Meredith
Elsa Martinelli ... Olga
Salvo Randone ... Professor
Massimo Serato ... Lawyer Rossi
Milo Quesada ... Rudi
Luce Bonifassy ... Lidia Poletti
George Wang ... Chinese Hunter

日本の映画分類では「SFサスペンス」、アメリカの分類では「アクション・コメディ・ロマンス」。見れば誰でもアメリカを支持する(笑)。こういうこと、本当に多い。日本では殺人があると「コメディ」に分類されない。それはさておき、マルチェロ・マストロヤンニは登場するだけで私の中ではなんだか満足感がある。

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June 19, 2022

モース『大森貝塚』

この本は1983年購入かな。

書名:大森貝塚 ―付 関連資料—
著者:E.S.モース
訳者:近藤義郎・佐原真
出版:岩波文庫(1983年1月第1刷)

《目次》

巻首図版 東京近郊大森貝塚
凡例

序文

日本大森貝塚—はしがき

大森貝塚の一般的特徴

大森貝塚の特徴

土器

装身具

土版

角器・骨器

石器

動物遺体

食人の風習

扁平な脛骨

大昔および現生の大森軟体動物相の比較

図版解説

【関連資料】
(1) ニューイングランドの大昔の塵棄場がひじょうに古い証拠
(2) 日本における太古の人類の形跡(E・S・モース)
(3) 大森村発見の前世界古器物について(『なまいき新聞』より)
(4) 日本太古の民族の足跡(E・S・モース)
(5) 日本の先史人類(F・V・ディキンズ)
(6) 大森貝塚 付 チャールズ・ダーウィン添え書き(E・S・モース)
(7) 大森貝塚(F・V・ディキンズ)
(8) 最近の出版物(E・S・モース)

解説

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June 18, 2022

「ローマでアモーレ」

レンタルDVD鑑賞記。

タイトル:To Rome with Love(2012年)
Director: Woody Allen(監督:ウディ・アレン)
Writer: Woody Allen
Stars:
Pierluigi Marchionne ... Traffic Policeman
Flavio Parenti ... Michelangelo
Alison Pill ... Hayley
Alessandro Tiberi ... Antonio
Alessandra Mastronardi ... Milly
Alec Baldwin ... John
Carol Alt ... Carol
David Pasquesi ... Tim
Lynn Swanson ... Ellen
Roberto Benigni ... Leopoldo
Monica Nappo ... Sofia
Fabio Armiliato ... Giancarlo
Corrado Fortuna ... Rocco
Margherita Vicario ... Claudia
Rosa Di Brigida ... Mariangela
Woody Allen ... Jerry
Judy Davis ... Phyllis
Jesse Eisenberg ... Jack
Gabriele Rainone ... Gabriele
Camilla Pacifico ... Camilla
Greta Gerwig ... Sally
Penélope Cruz ... Anna
・・・・・

昔のイタリアコメディ映画を見ている感。これはこれで楽しめる。

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June 16, 2022

トレルチ『ルネサンスと宗教改革』

買ったのは1980年よりもっと前かもしれない。最後のページに鉛筆書きで¥100と書いてあるので古本屋で100円で購入したということです。

書名:ルネサンスと宗教改革
著者:エルンスト・トレルチ
訳者:内田芳明
出版:岩波文庫(1959年8月第1刷)

《目次》

訳者序文

Ⅰ ルネサンスと宗教改革

☆二つの運動を「世俗的および宗教的ルネサンス」と解する通説
☆現実の「ルネサンス精神」
☆「関心方向の変化」
☆キリスト教的禁欲に反抗する審美的生活理論
☆ルネサンスの哲学
☆「宗教改革の精神」
☆権威的聖書主義と、ルネサンスに欠如せる宗教改革の社会学的生産力
☆職業観念と「万能の教養人」との対立
☆歴史的成果
☆「ヨーロッパ文化の主要構成要素への分裂」としてのルネサンスと宗教改革
☆社会学的により強力な宗教改革の勝利
☆ルネサンスの繁栄は反宗教改革のカトリックおよび英国国教会のなかにみられるにすぎない
☆ルネサンスと宗教改革とは啓蒙主義および新プロテスタンティズムのなかで融合した
☆19世紀における新しい分離
☆ヨーロッパ世界の二つの源泉の根源的対立

(付論)近代のルネサンス概念の発展—ルネサンスと啓蒙主義—

Ⅱ 啓蒙主義

1 序説—啓蒙主義の本質
2 政治的、経済的、社会的発展
/「国家理性」/
{・・・根本的な影響力をもったのはフーゴ―・グロティウス(1583-1645)が最初である。彼は lex naturae (自然法)と lex divina (神の法)、自然法と十戒、を同一のものとみなす思想、つまりカトリックのおよびプロテスタントのスコラ学の中に公然と述べられている思想を解体させ、自然法、万民法、国家法および自然道徳の基礎づけを一切の啓示から独立させ、自然の認識によって決定さるべきものであるとした。ここからして国家というものはもはや神の恩恵によって建てられるといった性質のものではなく、人間の理性に由来する契約によって作られたものであると思われた。・・・}
/国家教会主義と近代的寛容国家/経済、市民階級/重農主義/
3 新興諸科学と哲学
/宗教戦争後のより自由な基調/自然道徳と自然宗教/数学的・機械論的世界像/世俗的・哲学的歴史叙述/哲学/
4 新しい文学
/オランダ/イギリス/フランス/ドイツ/
5 国家生活および教育制度の実践的諸改革
6 啓蒙主義の神学
7 啓蒙主義衰退の諸原因

(付論)ルネサンス、宗教改革、「近代世界」に対する啓蒙主義の関係
/ルネサンスとの関係/
{・・・近代とは教会から原理的に解放されていて、国民国家と国際的協調との上に立脚し、人間らしい生活目的なら何でも自由に形成してゆくことの出来るような文化の時代である。
ところがこうした意味での近代なるものは比較的後になってのことである。それは―14、15世紀の都市文化を通じて、また15、16世紀の国民国家の形成を通じて、長い間準備された後であることは言うまでもないが―何と言っても決定的には17世紀の大宗教戦争の後にようやく登場し来たったのである。ルネサンスは、しばしば過大評価されており、ヤーコプ・ブルクハルトさえも、近代的人間へのルネサンスの意義を誇張したのであるが、ルネサンスが新しい生命と思想の創造的原理であるといってみても、たかだか限られた範囲内でのことであるにすぎなかったのである。なるほどルネサンスはほとんど無政府主義的な個人主義のために、しばらくは教会の拘束を解き放ちはした。また古代を蘇生させ文献学的批評を行うことによって古代キリスト教やカトリックの伝説について種々の有効適切な訂正を企てはした。またそれはそのファウスト的認識衝動を持った哲学によって哲学思想のあらゆる深みを掘り返しもした。またわけても、キリスト教の精神には深く内面的に矛盾するようなほとんど異教的な礼拝をもって人間の容姿を栄光化する芸術を創造しはした。しかしながら結局ルネサンスは、イタリアの小さな諸王朝もしくは領邦国家との関係において、もっぱら貴族階級、貴族主義の文化となったのであって、このような文化を必要とするのは世間的教養人だけであり、一般の民衆にとって、すなわち全体状況にとってみれば、狭苦しい古い諸関係、ことに教会と教会支配、が原理的には古い状態のままに置かれていたのであった。こうした事実からもすでに知り得ることは、ルネサンスは決して全体を内面から変革するが如き精神では決してないし、またそういうことを決して志しはしなかったということである。であるからしてルネサンス文化は、このような高貴な階級においてすらも、何物かを積極的に肯定した文化(Position)であるよりはむしろ、否定的中立的文化(Negation)であるにすぎず、内面的精神を重んずる(innerlich)よりはむしろ、社交的形式や洗練を重んずる(formell und weltmannisch)文化であった。従って様々の計画で人目を驚かせたり、豪華な饗宴で有頂天になったり、大胆不敵なことをしでかすかと思うと、流星の如く消え去るというように、突如燃え立つかと思うとただちに消え去るのであった。そうして結局全体として見れば、反宗教改革の文化、ことにそのフランス的形態において、「ルイ十四世の世紀」において、カトリックとほとんど区別し難いものとなるに至ったのである。ところでルネサンスはなぜ斯様な経過をたどったのであるか、その究極の理由が何であるかといえば、それはルネサンスが本当にオリジナル(独創的)な生活原理を全然持たなかったこと、そうして協会文化の代わりにこうした〔独自の〕原理を置くことが出来なかったことなのである。ルネサンスには、古代という限りなく重要ではあり刺戟的ではあるが近代人にとってはとにかく異質的である力が、その隅々にまでしみ込んでいたのである。ルネサンスが独自の積極的創造をなしえなかったのも、かように古代というものに寄りかかっていたためなのである。だからこそルネサンスは、教会文化をさえも超克できなかったばかりか、むしろただこれに手加減を加え、衣裳を凝らし、磨きだてたりしたに過ぎなかったのである。}
/宗教改革との関係/
{他方では16世紀の今一つの大きな運動である宗教改革も、これをもって近世の出発点であると無造作に考察することはできない。とはいえもちろん宗教改革は一個の強力な宗教的、道徳的運動として国民の生活の全体に革新を及ぼしたという点で、およそルネサンスには見ることのできない独自の積極的な諸力を持っているのであり、またヨーロッパの半ばを教皇の座から解放することによって、教会文化の成立当初以来(繰返し)行われて来た解放の大事業を〔ここにはじめて〕成し遂げたことも勿論である。しかしながら他面宗教改革のまず第一の成果は、何と言っても再び一つの教会文化を作り出したことなのであった、しかももちろんこの文化は結局は国民的諸国家や国民的諸社会の文化となるに至ったのであった。斯くの如く国民国家と結びつくことによってこそ、この教会文化は自由にして独立なる諸国民文化の諸力のために道を開いたのであった。但しこの教会文化はこの道をただ開いただけであって、やがてまた閉じてしまったのである。というのは、この教会文化はその文化の領域の上に精神生活の国民的・教会的・宗派的に拘束された一つの立場を作り出したために、外面的にはカトリック世界とあまり違わないものとなったばかりでなく、そのような国民的、宗教的思想からは生活も思想も革新することが出来なかったからである。またこの教会文化は古代風たらんとするルネサンスの高貴な教養に対するその文化的需要を充足させようとした。もちろんルネサンス的文化へ触手を伸ばしたとはいっても、すでにその受け取り方においてプロテスタント的、北方的の変化を蒙っていたから、〔ルネサンス特有のあの〕現世的エレガントや感覚的充足というものは失われていた反面、それに代わってどことなく学者風、役人風といった傾向を帯びていたのであった。ここでもまた国民から区別されラテン語とギリシア語の教養を具えた一つの階級(カースト)が、教会の審査の下に置かれた古代というものを食い種にして生活するのである。ラテン詩論、アリストテレス解釈、ローマ法の継承、がここでも精神生活の中核を形成するのであるが、そのことは、自由な生活と思想はここでも成立することが出来なかった、ということを物語る以外の何ものでもないのである。
むしろ新しい世界の出発点は、およそ教会的に拘束せられたものを一切追放したという点に存する。しかもこのことは、ドイツ、オーストリア、フランス、オランダ、イギリスを舞台に縦横に暴れまわった大宗教戦争の成果なのである。これに対して一方ルネサンスのハイマート(故郷)の帰着するところは、スペイン的な墓地の静かさであった。・・・}
/≪近代世界»との関係/
{・・・18世紀というものが意味するものは超自然主義への反抗であり、またこれまで絶対的に神的であり超人間的であったところの諸々の真理や規準の人間化であるとともに、また従来神的な権威に拘束されていた個人の解放なのである、しかも新しい人間的諸権威を各個人自らの養成によってのみ生み出すことのできるようなそういう人間の解放なのである。だがそのやり方はまことに千差万別であって、あるものは心理的・経験的、あるものは秘術論的・神秘主義的、という具合である。これを合理主義と名づけるのは、人が超自然主義なら何でも教会神学だと呼んだり、超自然主義を軟化させるものなら手当たり次第これを浅薄に合理主義だと名づけるのだとすれば、その限りにおいて意味があるにすぎない。が、合理主義を人が―そうするほかはないと思うが―認識論的に一定の方法、つまり諸々の真理や価値を論理的・規範的に構想するための方法、であると理解するならば、18世紀はその極めて小部分だけについて合理主義的であると言い得るにすぎない。なるほど主としてデカルト、スピノザからライプニッツ、ヴォルフ、カントの線に注意を向けるなら、合理主義という印象が成立してくるのはもちろんである。けれどもこれはわが国でよく行なわれているようなドイツの発展の過大評価ということに関連している。発祥地は実はオランダでありイギリスでありフランスなのであって、これらの諸国ではどこでも経験主義、歴史・文献学的批評学、心理学、耽美的感情契機、懐疑、が優越している。・・・}

Ⅲ プロテスタンティズムと文化との関係

1 プロテスタンティズムはプロテスタント諸国民にとって一般にどういう文化的意義をもっているか
/国民的諸国家の独立と文化の独立/文献学的批評と宗教的個人主義/世俗労働の聖化/
2 別してプロテスタント的なる文化の創造
/家族と国家/
{比較的に最も多く特異性を獲得したのは家族である。なるほどこの点でも全体として見ればカトリック的家族の理想を継承したに過ぎなかったが、しかし祭司の独身と修道制とが廃止されたことによって結婚と家族は驚くべきほどその意義と権利とを高められた。そうして宗教的な精神態度は職業活動に移されてはじめてその真価を証明することが出来るとされた関係上、生存手段を生産し子女の教育の課題を担う家系というものは第一にしてもっとも手近な召命(職業)としてキリスト教的職業の中心的意義を獲得した。そのことはルター主義、カルヴィニズムの相違を越えて共通している。家庭の機能は第一の最も手近な神奉仕であると解される場合には、性生活を統制し秩序ある出産を目的として作られた家庭というものは、あらゆるプロテスタント的文化の胚細胞にもなれば、配慮や奉仕義務行為や服従や敬虔というようなあらゆる社会学的生活態度を学ぶ学校ともなる。一種宗教的に精神化された家父長制によって、また家族的行為が社会と教会に役立つことが強調されることによって、家族はプロテスタント文化一般を表す総括概念もしくは象徴にまでなる。
国家は罪の結果生じたものであるが神の摂理によって救済と訓練を行う手段に転ぜられ、あらゆる権利権力を具えた組織であると見られたが、これは本質的は点で中世的光の下に立っていた。と同時に国家の現実性は絶対主義への展開過程において甘受された。この絶対主義は教会の優先権から自己を解放したばかりでなく、逆に教会の権力手段を利用して、今や官僚主義的役人国家への発展の途上にあったのであった。プロテスタンティズムは、一方では外部的教会制度のための配慮を国家に委ね、さらに正しい外的なキリスト教的道徳秩序が堅持され純粋な教えが行われるようにすることは国家の義務であるとしたが、他方では国家の政治的、社会的活動に教会的勢力が介入することの絶対にないように国家を教会勢力から解放したことによって、このような発展を一段と助長した。近代国家の発展はこのような事態を通してプロテスタント的地盤では驚くべきほど促進されたばかりでなく、同時に国家もしくは当局は、社会が制度上キリスト教の立場に立っていること(…)に対してともに責任を負うものとして、また教会を純粋に維持し保護する義務を負うものとして、直接宗教的な課題を担うことになった。もちろんこの課題はただこのように文化の全体がキリスト教的文化であるということを保証しただけのものである。祭司の指導によらず、独自のキリスト教的義務感情からキリスト教的道徳秩序を維持し純粋のキリスト教の教えの実現を配慮する国家というものが古プロテスタンティズムのあらゆる文化にとっての不可欠の場であり支えなのである。その際ルター主義は絶対主義に傾き、国家生活に関係するルター主義の教会諸制度は保守主義に傾いている。これとは逆の傾向を持つカルヴィニズムは共和主義的憲法を制定し、キリスト教国家が統治をおこなう場合、いやしくも道徳的、教会的の事柄に関する限り、教団の働きが参与すべきであるということを強調し推進するのである。}
/経済と社会/
{経済生活もまたまずさし当っては中世的キリスト教的の意味におけるそれとして考察されているし、またそのように全体に対して位置づけられてもいる。私有財産制度は堕罪の状態においては自明のことであり、神の秩序であるとされている。それは職業的労働を通して秩序あるやり方で獲得されねばならぬのであり、家族の主張を考慮し全体の利害関心を考慮して使用されねばならぬとされている。ところでこの場合ルター主義は資本主義的発展を恐れ、経済生活を可能な限り農業的・手工業的生産段階に堅持しようとするのであるが、それは資本主義的な思惑が愛にも摂理信仰にも反する〔と考えられた〕からなのである。ジュネーヴを基盤としてカルヴァン(Calvin)は都市生活を受け入れ、ここよりして貨幣制度や利子所得というものに対しても、それが全体の福祉を促進する意義あるものとしてそれを許容したのであるが、この事は倫理の全面的な改革にとって決定的なこととなったのである。ところでこのような原理的諸確信が浸透した基盤では周知の如く同時に労働義務、職業義務、個人的精神的な活動や人生観がプロテスタンティズムの一般的精神によって促進されたのであったから、ここから経済的労働の増進もまた同時に生じたのは当然である。とりわけカルヴィニズムは、それによって許容された資本主義的生産の領域にもその弛緩なき方法的勤勉の精神を移したことによって、労働を労働それ自身のために評価するという資本主義精神を造り出す上に非常に重要な貢献をした。敬虔主義や諸教派の場合にも類似の現象が起った。だがいずれにせよこのような経済生活は、それが神に委任された職業であり兄弟たちや全体の福祉のための義務であるとして、つまり言い換えれば教団(ゲマインデ)の繁栄の手段や慈善の手段として、受け取られていた限り、そして消費が極めて控えめの需要の程度に制限されていた限りにおいて、キリスト教的精神を維持していたのである。・・・}
/学問と芸術/新プロテスタンティズムの成立/

【解説】

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June 11, 2022

小熊英二『私たちはどこへ行こうとしているのか』

ネット購入。5年くらい前かしらん。
やっぱり小熊英二は文章がうまい、わかりやすい。それに視点が鋭い。。。もちろん一刀両断的な部分は異論も出したくなるが。

書名:私たちはどこへ行こうとしているのか
著者:小熊英二
出版:毎日新聞出版(2016年6月)

《目次》

 【1章】

凡庸でナンセンスな領土問題
東京五輪 いくつかの懸念
外国語不要 国内依存の日米経済
経済成長で強まる伝統
若者のモラルに甘える企業
上に優しく下に厳しい社会保障
デモは「日本のあり方」全体への抗議
デモは日本社会に定着
総選挙最終日の秋葉原で「日本を、取り戻す。」
それでも社会は変わる 直接参加の回路を
選挙で社会は変わりますか?
「社会が変わる」とはどういうことか
「ポピュリズム」批判は意味がない
「橋下徹」はグーグルである
「よくない民主主義」?
「現実的な」な戦後70年談話のあり方
利益誘導は機能不全 沖縄の基地は削減可能
構造的変化をふまえた外交を
「いちばん大切なもの」に共通した答え
安全保障法制を腑分けする 国民的議論させなかったツケ
変わる社会、変われない政治
あなたの頭の中以外、社会は変わっています

【2章】

島根の軽トラ市 地域の悩みチャンスに
廃校利用宿舎 地元愛で持続
水俣 「環境モデル都市」へ転換模索
社会的分断としての「水俣病」
社会保障 全員無差別が効率的
「東京の限界集落」 住み続けられる仕組み
地域の絆残る朝鮮学校
保護者運営の学童クラブ 参加意識高い「共同体」
山や川で遊べない理由とプレーパークの意義
社会的起業家が集う場所 「政府にお任せ」では限界
誰でもできる社会運動、太陽光発電
儲からない事業 地域の信用に根ざし担う
医療と社会ってどんな関係なのですか?

【3章】

憲法九条
保守とリベラル
「六八年」と「八九年」
「法」の原理と未来
改憲論の潮流
{・・・最近の日本で聞く「『国を縛るのが憲法である』という考え方が立憲主義だ」という説明はどうなのだろうか。もっとも憲法学者の方は、こういう言い方はしていないようで、国民から権力を委託された行政府と、国民の代表である立法府、この二つの暴走を止めるために憲法がある、という説明をなさっているように思います。それが多少単純化されて伝わると、「『国を縛るのが憲法である』という考え方が立憲主義だ」になっているようです。しかしそれは、学問的に正確であるとかないというのとは別次元で、少々問題だと思います。
というのは、国を縛るのが憲法だ、憲法が国民を守ってくれているんだという言い方は、国民が主権者だという感覚がないことの裏返しではないか。つまり、行政府が主権を持っている、自分たちは行政府や立法府に何の影響力もない、誰かが決めてくれたありがたい憲法が行政府を縛り自分たちを守ってくれている、という立憲君主制の感覚から出ていないのではないか。
また率直にいって、憲法学者の唱える立憲主義というのは、国民の多数派の共感を呼ばないと思うのです。何故かというと、エリート保守主義だからです。憲法学者の方による自民党の改憲論批判の中には、彼らは立憲主義を知らないのか、憲法学の教科書も読んだことがないのか、といったものもありました。しかし憲法学の教科書を読まないと憲法を論じる資格がないのだろうか。「あなたたちにはわからないかもしれないけれど、法というのは素人が勝手にいじってはいけないものなんですよ」という主張に聞えかねないし、それでは反発を買うでしょう。
歴史的にいって、エリート保守主義の牙城は、外交官と高級官僚です。エリート保守主義といちばん対立するものはポピュリズムです。定義からいって、大衆はポピュリズムの方が好きです。官僚や学者がなんといおうと、自分たちは現状を変えたいんだという心情を、憲法学の講義で抑えることはできないと思うのですね。
ではどうするか、なのですが、ここで「法とは何か」という原点に立ち戻ってはどうかと思うのです。・・・}
日本とドイツ 異なる戦後史
ある日本大衆文化の形成 戦後日本社会におけるマンガとアニメ
「本が売れた時代」は一時の夢

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巻末資料
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June 07, 2022

最上級A5ランク!!飛騨牛目録A3パネル付き!! すき焼き用バラ500g

ネット購入(2022年2月)。

書名:歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア
著者:ウンベルト・エーコ
訳者:リッカルド・アマデイ
出版:岩波現代文庫(2021年5月第1刷)、原著は2006年2月

《目次》

訳者まえがき

エビの歩き方—歴史の後ずさり

Ⅰ 戦争、平和、その他のこと

◇戦争と平和をめぐるいくつかの考察

◇アメリカを愛し、平和行進には参加

◇ヨーロッパの展望

◇狼と羊—濫用の修辞学

◇ノルベルト・ボッビョーー学者の使命についての再考察

◇啓蒙主義と常識

◇遊びからカーニヴァルへ

◇プライヴァシーの喪失

◇ポリティカリー・コレクトについて

◇私立学校とは何か

◇科学、技術、魔術

{・・・魔術は原因と結果の長い連鎖を無視し、とりわけ、何度も何度も試行を重ねて原因と結果の間に再現可能な関係があるかどうかを確かめるということを気にしない。原始文化に始まってわれらが明るいルネッサンスまで、さらにその後、インターネットに蔓延する数限りないオカルト的セクトまで、魔術の持つ魅力はここに起因する。・・・}
{・・・マスメディアに対して、魔術にとらわれたメンタリティを捨てるように要求しても無駄だ。なぜなら、いわゆる視聴率や部数の論理というものに縛られているだけでなく、マスメディアが日々付与せざるを得ない原因=結果の関係は、本質的に魔術的なそれだからだ。・・・}
{・・・私は、学校の机へと戻らなければならないのだと思う。科学的手順とはどのようなものであるのかを若者が正しく理解するようにゆっくりと教育するということは、学校そして学校に代わり得るすべての活動や企画—信頼できるインターネット・サイトも含めて—の義務だ。そして最も困難な任務だ。なぜなら、学校が教える知識も、往々にして魔術的な出来事の連続として記憶の中に沈殿していくからだ。ある晩、帰宅したキュリー夫人が一枚の紙の上に残された染みを見て放射能を発見する。・・・}
{・・・魔術的でない科学像を打ち立てたいのならば、マスメディアに期待を抱いても無駄だ。科学者自身が、若い人たちからスタートして人々の共通認識の中にそれを少しずつ構築していかなければならないのだ。
今日の私のスピーチの挑発的な結論はこうだ。科学者が今日享受しているとされる名声は偽りの根拠の上に成り立っており、それはいずれにせよ、多くの人々の心を未だに魅了している魔術の二つの形態—伝統的な形態と現代技術の形態—の影響によって汚染されている。
偽りの約束と裏切られた希望という悪循環から抜け出せない限り、科学が歩まなければならない道はなおいっそう険しくなるに違いない。・・・}

Ⅱ グレート・ゲームへの逆戻り

◇ワトソンとアラビアのロレンスとの間で

*この話はどこかで聞いたことがある

*まず資料をそろえる

*戦うには文化を要する

*正義の側に立たなくても勝てる

*グレート・ゲームの記録

◇言葉は石のようなものだ

*言葉の戦争

*ビン・ラディンを「理解している」人たち

*原理主義、十全主義(インテグラリズム)、人種差別主義

*内戦、レジスタンス、テロリズム

◇カミカゼと暗殺者

Ⅲ 十字軍への逆戻り

◇聖戦、感情、理性

◇多民族社会における交渉のしかた

◇エルサレム陥落—生中継

◇ミス、原理主義者、ハンセン病患者

◇アダム以前の人間の存在をどう取り扱うか

Ⅳ 『神学大全』その他

◇ヨーロッパの根源

◇キリストの十字架像、風俗と習慣

◇胎芽の霊魂について

◇偶然と知的設計論

{・・・ここで私はあえてカトリックという言葉を強調したい。なぜなら、キリスト教原理主義はプロテスタントの環境から生まれたものであり、その特徴は聖書を字義通り解釈するという決意だからだ。そもそも、聖書の字義通りの解釈が存在するには、聖書を自由に解釈することが信者に許される必要があるが、これはプロテスタント教会の典型的な特徴だ。カトリックに原理主義は存在し得ない。なぜなら、カトリック教徒にとって聖書の解釈とは教会の仲介によってなされるものだからだ。これこそが宗教改革派と反宗教改革派との戦いの種だった。・・・}

◇わしの息子から手を引け

◇神を信じなくなった人間は何でも信じる

*ゼロ年を信じる

*錬金術を信じる

*アーモルト神父を信じる

*超能力者を信じる

*テンプル騎士団を信じる

*ダン・ブラウンを信じる

*伝統を信じる

*トリスメギストスを信じる

*第三の秘密を信じる

◇PACSとルイーニ枢機卿

◇相対主義なのか?

Ⅴ 人種の防衛

◇イタリア人は反ユダヤ人か?

◇陰謀

◇私の最も親しい友人の何人かは

◇彼の最も親しい友人の何人かは

Ⅵ 第三千年紀初めの黄昏

◇ある夢

◇死の短所と長所について

訳者あとがき
岩波現代文庫版 訳者あとがき

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June 03, 2022

須貝佑一『ぼけの予防』

この本は2005年10月19日(水)に、名古屋市栄の丸善で購入しました(700円、消費税5%35円)。レシートが挟み込まれていたので正確な情報が得られました。


書名:ぼけの予防
著者:須貝佑一
出版:岩波新書(2005年5月第1刷)


《目次》


まえがき


Ⅰ ぼけとは何か


1 「年のせい」と認知症の違い
/「年のせい」とは/「年のせい」で起きる現象/脳の老化と「年のせい」/脳が老化するだけでは認知症にはならない/「年のせい」と認知症の物忘れの違い/認知症で起きるその他の現象/認知症とは何か/


2 認知症を起こす病気
/認知症をめぐる誤解/認知症を起こすさまざまな脳の病気/認知症を起こしやすい体の病気/増える認知症と減る認知症/


Ⅱ ぼけの診断


1 認知症の見つけ方
/早期発見の機運/認知症を見つける手がかり/認知症を見つける二つの方法/軽度認知障害とは—超早期の発見/


2 認知症を診てもらう方法
/身近な人を診断してもらうには/どの診療科にかかったらよいか/病院へ行きたがらないとき/認知症の早期発見はどこで/

{・・・認知症の研究や診療に関係した学会としては、日本老年精神医学会と日本神経学会が代表的な学会である。二つの学会ともに一定の水準をクリアした臨床医を学会認定の専門医として認めている。日本老年精神医学会専門医は全国に約830人いる。神経内科専門医は3900人いて、その氏名、所属の医療機関名も各都道府県ごとにインターネット上で公開されている。・・・}


Ⅲ アルツハイマー病の予防


1 アルツハイマー病とは?
/加齢とともに増えるアルツハイマー病/基本的な症状経過/アルツハイマー病の原因/ぼける人、ぼけない人/


2 食生活
/生活習慣病として見直されはじめたアルツハイマー病/食生活が注目されるきっかけ/摂取カロリーの制限が予防に有効/食事に含まれる脂肪とアルツハイマー病/脂肪の三タイプ/動物性脂肪のとりすぎはなぜ悪いのか/オメガ3不飽和脂肪酸と脳の働き/オメガ3不飽和脂肪酸とアルツハイマー病/アルツハイマー病になりにくい脂肪のとり方/野菜と果物の効用/野菜と果物の摂取とアルツハイマー病/


3 嗜好品のとり方
/酒とアルツハイマー病/たばことアルツハイマー病/


4 生活習慣と頭の使い方
/日頃の運動がアルツハイマー病を予防する/なぜ運動がアルツハイマー病予防にいいのか/101歳の修道女の話/余暇の過ごし方とアルツハイマー病/認知的予備力の大きさが認知症予防の鍵/ストレスと環境変化の影響/


5 薬とサプリメントの効用
/コレステロールの薬と血圧の薬がぼけにも効く?/サプリメントの効果/薬の使用などで気をつけること/


Ⅳ ぼけ予防の先に見えるもの


/ぼけ予防の目標/ぼけ予防教室/


あとがき

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May 31, 2022

クロォチェ『歴史の理論と歴史』

この本は1983年に名古屋駅前近鉄ビルの星野書店で購入したもよう。

書名:歴史の理論と歴史
著者:ベネデト・クロォチェ
訳者:羽仁五郎
出版:岩波文庫(1952年2月第1刷)、原著は1916年

《目次》

・新版によせて
・訳者の言葉

著者の言葉

【第一部】歴史叙述の理論

1 歴史と年代記録

{・・・まずはじめに歴史、次いで記録である。まず生きたものがあり、次にその死骸がある。そして歴史を記録の児としようとするのは、とりもなおさず生きたものを死骸から生まれさせようとすることにほかならぬ。ところが、この死骸は実に生命の遺物であり、同じく、記録は歴史の遺物である。・・・}

2 偽歴史の諸型

3 普般の歴史としての歴史 「普遍世界史」の批判

4 「歴史哲学」の理念的成立および解体

5 歴史の積極性

6 歴史のヒウマニティ

7 事実の選擇と時代区分

8 差別(特殊史)と区分

9 「自然の歴史」と歴史

【第二部】歴史叙述の歴史について

1 序論

2 ギリシア・ロォマ的歴史叙述

3 中世的歴史叙述

4 ルネサンスの歴史叙述

5 啓蒙主義の歴史叙述

6 ロマンティシスムの歴史叙述

{・・・いわゆる政治史においてもまた、国家の概念はみるみるうちに国民の概念に地を譲り、そして「国民性」は、「ヒウマニティ」また「自由」また「平等」またその他同様の、かつては輝きいまは色褪せたところの、前時代のさまざまの理念に代わって立った。そしてこの国民主義があの普遍主義また世界主義に比して退歩の如く見なされたのは誤っている。なぜなら(そのすでに注意された感傷的誇張にもかかわらず)この国民主義はただその歴史的創造の中にのみ生きるところの普遍主義の具体の見解を現実に準備し、歴史発展の所産であり同時に創造者であるところの国民より成る普遍世界の概念を明らかにするためのものであった。そしてこの国民の価値の獲得の結果としてヨーロッパ主義の価値が蘇生した。啓蒙主義の時代にあってはその頃栄えていた自然主義的精神のために、また古代のまたキリスト教主義の歴史図式に対して起こされた反動のために、あまりに虐げられていたところのヨーロッパ主義はいま復活を許された。もとより、ヨーロッパによって考えられたところの歴史が「ヨーロッパ的」であるより他はあり得ないということは明瞭であり、そしてただギリシア・ローマ的、キリスト教的また西欧的文明の行路との関係においてのみ、その他の線の上に発展した文明は我々の中に現実として感ぜられまた理解されることができるのであり、もしもそうでなければ我々は歴史を変じて文明の各種の型の陳列会とし、場中の優秀者に賞牌を授けようとするのかと問われなければならない、ということは明瞭であらねばならなかった。またこれと全く同じ理由のもとに、歴史と先史との区別また人の歴史と自然の歴史との差が明らかにされた。この両者は自然主義また唯物主義によって不法的な結合を受けていたのである。この不法行為はヘルデルの著作の中にさえ見いだされるが、新しい動機の中になお彼の生まれまた育てられた世紀のものを少なからず持ち越したところのヘルデルにあっては、それもやむを得なかった。しかし、ロマンティク的歴史叙述については何よりもまず第一に、各々の民族についてまた各々の時期についてその宗教的、哲学的、詩的、芸術的、法制的、倫理的の諸事実を発展という唯一動機の機能として相互的関連において考えつつ、各種の精神価値のそれぞれ単一的な歴史のすべてを一の有機体的統一に総合しようとする試みが注目される。そしてその試みが充分しばしば成功していることも認められる。文学の理解は理念また風俗の研究なしには可能ではないということ、また政治は哲学をよそにして理解され得ない、または(やや後に至って気づかれたことだが)法律また風俗また理念は経済の理解なしには理解され得ない、ということはこの頃一般にとなえられるところとなった。そして、ここで一言しておきたいことは、これらの価値の歴史のほとんどいずれといえども、それらの内的統一性の意識とともに、すでにこれより先にヴィコにおいて提案されまた素描されなかったものはない、ということである。詩の、説話の、法律の、言語の、国家制度の、論証的または哲学的理性の、またその他の歴史はすべてヴィコに知られていた。ただこれらはヴィコにおいてはしばしば歴史的または社会学的時期にまとめこまれて、そこにこれらのもののいくつかが特に結びつけられてしまったということは否まれない。・・・}

7 実証主義の歴史叙述

{・・・しかしこの超越的が物質としてまた自然として考えられ、これらの最初には醜いまた滑稽なものと見えていたところの自然主義的また唯物主義的な装いの中にいまロマンティシスムの問題と概念とが考えられ、理念は原因として、発展は進化として、精神は群衆またその他の同様のものとして考えられたこと、そして最初には実証主義的歴史記述の欠陥を為すものとされていたところのこれらの点にこそ、よく見る者は実証主義がロマンティシスムの上に加えた進歩を認めるのである。この変装は歴史が世界以外の力によって、外的目的性によってまた超越的法則によって動かされると考える考え方を斥けるところの強い否定を含んでいる。そしてこの否定はその動機においてまたその一般的傾向において正しいとされる。そしてそれはまたこの否定に対蹠する肯定、すなわち歴史の法則は現実の中に求むべきであり、そしてその現実は唯一であり自ら「自然」と呼ぶという肯定を含んでいる。「形而上学」についてなにものをも知ろうとはしない実証主義は、この彼の反感において、カントのまたその後継者たちの思想の中に浸透していた独断的また超越的形而上学を敵と目指した。そしてこの標的は正しかった。ただそのあとで彼は形而上学と一般哲学とを混同し、または独断的形而上学と批判的形而上学とを、存在の形而上学と精神の形而上学とを混同し、そして彼自身決して彼が排斥しようとしたところのものから自由になることができなかった。このことは、実証主義の「形而上学」に対する抵抗が、そして、さらに直接に我々の問題となっている場合にのみついて言うならば、「歴史哲学」に対する彼の反抗が恒久的な福祉を為すものであることを妨げるものではない。実証主義の徳によって、歴史書はその単純さを減じ、事実の豊富さを増し、殊にロマンティシスムが閑却したところの事実の群、例えば自然的と呼ばれる状態、退化的または病的と呼ばれる過程、心理学的幻想と呼ばれる精神的複雑、物質的と呼ばれる関心、生産及び富の分配、言い換えれば経済的活動、力また暴力の言い換えれば政治的また革命的勢力の事実、これらの各種の事実における豊富さを増した。超越的を否定し、そして我に当面するところの事物を観察することをひたすら目指して、実証主義は、自ら正しと感じ、そしてまたこの点について確かに正しくあった。そしてこれらの事実の秩序に所要の注意を払い、そしてこの超越的の否定を改め新たにするとき、我々各々は実証主義の果実を集める者であり、そしてその点において実証主義者である。そしていくつかの彼の矛盾もまた、ロマンティシスムの歴史叙述にあって隠れていたところの矛盾をはっきりと明るみに出したということの功績を持っていた。・・・}

8 新しき歴史叙述

・人名索引 

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«A.J.P.テイラー『ハプスブルク帝国 1809-1918』